8
4月

盛岡市先人記念館(岩手県盛岡市)

   Posted by: 雨ニモ通信   in おすすめスポット

~明治期以降に活躍した盛岡ゆかりの先人130人を紹介~
    盛岡市先人記念館(岩手県盛岡市)
 
 JR盛岡駅を背に雫石川にかかる「杜の大橋」にさしかかると、晴れた日は右手に雄大な岩手山が望め、その橋のたもとにグレーの三角形が2つ並んだような屋根が見えてきます。橋の途中を左折し、川土手におりて右旋回し橋をくぐると、そこに深呼吸しているように『盛岡先人記念館』が静かにたたずんでいます。
 玄関を入ると、そこにはなんともいえない凛とした空気が流れ、盛岡ゆかりの先人たちへグッとワープし、ささやかだけれどとても贅沢な、『歴史』の旅にいざなってくれます。
 
3人の先人記念室
*1階には、国際人として、教育者として、また思想家として生きた「太平洋のかけ橋」、新渡戸稲造記念室。
*海軍大臣、総理大臣として、戦争の幕引きに全精力を注いだ「不戦の提督」、米内光政記念室。
*言語学者として、国語辞典、教科書の編者として、また啄木の友人として有名な金田一京助記念室が有ります。
 
総合展示室
 総合展示室には、政治、経済、学術、芸術とあらゆる分野にわたって、おもに明治期以降、盛岡の社会的地盤づくりと発展に尽くした人々を、歴史の流れを背景として、各分野別に個人の業績や人となりが展示、紹介されています。
 
【開館時間】 午前9時~午後5時(入館は4時30分まで
【入館料】  一般300円、高校生200円、小・中学生100円
【休館日】  毎週月曜日(祝日の場合は翌日と、毎月の最終火曜日
【問合せ先】 (財)盛岡市文化振興事業団 盛岡市先人記念館
       〒020-0866 岩手県盛岡市本宮字蛇屋敷2-2
         Tel:019-659-3338 Fax:019-659-3387
         E-mail:senjin-gakugei@mfca.jp

8
4月

~楽あれば苦あり~

   Posted by: 雨ニモ通信   in こころの広場

~楽あれば苦あり~
                         岩手県北上市/佐藤
 人は誰でもが苦労と戦っているのであろう。その苦労があるから幸福を味わう事が出来るのではなかろうか。一言で苦労と言っても人によって異なるであろう。
 人間としてこの世に生れ、全ての人が幸せになる権利はある。しかしそれは自分から求めるのではなく、自然に与えられるものであろう。人は「苦労を苦労と思うな、苦労なくして幸せはありえない」と言うが私もその通りだと思うのである。
 町を歩いても、人は皆幸せそうに見えるが、実際は明日の生活も儘ならない人が多いのではなかろうか。人はいつも不安を持っている。そんな時誰かが受け止めてやる事によって、その人の気持ちが癒されるのではないだろうか。ともあれ人生、楽あれば苦もあることを忘れてはならない。
 人の幸せを羨まず自分の道を正直に真直ぐに歩いていく人こそが人生の勝利者ではなかろうか。
 光は闇を貫いていくように。

8
4月

~自分の気持ちとしっかり向き合って~

   Posted by: 雨ニモ通信   in こころの広場

~自分の気持ちとしっかり向き合って~
                         盛岡市/斎藤
 つらい時、苦しい時、何かにぶつかっている時そこから逃げたり投げ出したくなります。でもそうやっているうちは、いつまでも解決しないまま。あるいは時間の経過で問題を忘れたり薄らいだり本当の決着に至らないものです。
 出来る限り自分の気持ちとしっかり向き合う事、そして原因は何なのか、解決できる事ができない事か、そこを見つめる事が大切だと思います。
 でも、誰でもそこから逃げ出したくなるものです。そんな時は、自分のやりたい事、心が許せる事だけをやってみるというのもひとつの手です。読書、音楽、スポーツ、食欲、おしゃべり。とにかく余計な事を考えず、何かに熱中してみる。心の隙間に楽しい事をいっぱい詰め込んでみる。そうすると何か苦しい事に当った時でも、その喜びの場面がふっと思い出されて、これが過ぎればまたひとつの楽しみと出会える、と心の余裕につながると思います。
 そうしてつらい事苦しい事を経験することで、人間は成長してゆくと思います。
 人との接し方を見れば、その人がどんな生き方をしてきたのか判るものです。意識していなくても態度、言葉づかいにはその人の心の奥が表れているものです。この人はこれまでに苦労してきたなという方は、その苦しさあるいは悲しさを軽軽しく口に出して語らないものです。人は誰でも誰かとつながって生きているものです。親、兄弟、友人、知人、力を与えてくれる人が必ずいると思ってあきらめない、これがすごく大切だと思います。
 空海の言葉が印象的です。
 「生れ生れ生れ生れて 生の始めに暗く
  死に死に死に死んで 死の終わりに冥し(くらし)」
 何度生死をくり返してもその理由を知らない、という意味だそうです。365日、今日もしっかり生きていこう。

8
4月

~臨床心理士を目指して~

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~臨床心理士を目指して~
                         岩手県盛岡市/19歳女子
 「誰かのこの気持ちを打ち明けたい、相談したい」誰だってそう思う事が有ると思います。けれどその気持ち、あるいは悩みが、親、友達、知り合い等、親しい人には言えない。親しいからこそ言えない、そのようなものだったら?そもそも近しい人に相談できる環境に無いとしたら。そんな時話を聞いてくれる第3者がいたら楽なんじゃないか。私が臨床心理士を目指そうと思ったのはそんな思いからでした。
 臨床心理士とは心の専門家です。心に悩みを抱える人のカウンセリングなどを行ないます。
 私自身、悩みを抱えつつも誰に話せばいいのかも分からず、誰にも相談できずに悩みつづけていた事が有ります。友達にも親にも「言って心配をかけたくない」「きらわれたらどうしよう」という重いから話すことは出来ませんでした。そんな時に思ったのです。まったく関係ない第3者の方が何かを打ち明けやすい場合もあるのではないかと。
 今、大学で社会福祉と心理学を学んでいる最中です。本当に自分は臨床心理士に相応しい人間なのかと不安の中、自問自答を繰り返す日々です。
 「医師が人の命を預かる仕事なら、臨床心理士は人の心を預かる仕事。命も心も人の一生、未来に関わる大事なもの」これは大学の先生のことばです。生半可な気持ちでつとめてはいけない職業。だからこそやりがいも大きいと思います。
 そんな私の悩み、ストレス解消方は、まず寝る事です。とにかく寝て嫌な事を忘れて気持ちを切り替えます。相談できそうな悩みは、すぐ友達に相談して助言をもらっています。一人で悩み続けても、偏った判断しか出来ないと思うので。
 では最後に呉秀三の有名な言葉をご紹介します。
 「わが国何十万の精神病者はじつにこの病を受け入れたるの他に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものと言うべし」
 約100年前のこの言葉を皆さんはどう思われるのでしょうか。お読み頂きありがとうございました。

8
4月

~心のよりどころは、出会ったことば~

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~心のよりどころは、出会ったことば~
                         東京都世田谷区/しゅうこ
  わたしがこれまでのり越えてきたのも支えてくれているのも「ことば」です。
  若いときは、
  「寄りかからない」
  「限界をつくらない」
  「絶対に変わらないものはこの世の中にはない」
  この頃は、
  「一寸先は闇」
  「どんな事が起こっても、すべて引き受ける覚悟さえあれば、世の中こわい事はない」
  「変えられない事は受け入れるしかない」
 出会った「ことば」をよりどころにして、いつも面白いこと、楽しい事がころがっていないかとキョロキョロ・・・。
 そして若い頃、心が折れそうになた時は全て受け入れてくれて、絶対裏切らないだろうと信じられる「母」の存在が元気の素でした。

8
4月

~人生楽ありゃ、苦もあるさ~

   Posted by: 雨ニモ通信   in こころの広場

~人生楽ありゃ、苦もあるさ~
                         岩手県盛岡市/小泉
 ♪人生楽ありゃ苦もあるさ♪ 有名な水戸黄門のうたである。2009年も終わりを迎え、今までを振り返り、その中で苦しかった事をどんなだったか思い出してみました。
 まあ人生とはそういう事です、あたりまえの運命です。と言ってしまえばそれまででしょう。辞書には、むずかしい、困難とある。
 自分もいつの間にか中年と呼ばれる年になり、若い時は未来に希望をもって生きろ。老人になったら改めて過去のことを思い出し、懐かしむのだ。
 自分はまだ周りの人々から全然若いといわれる。でも40歳。人生の真中で中途半端な年代。昔はこんな事考えたりしなかったのに、やっぱり年をとって来たのかな。でも苦しい事の方が多かったような気がします。
 仕事は苦しい、恋愛も苦しい、真実を話すことが苦しい。逆に真実をいえないことが苦しかったり・・・。まだまだ沢山、きりがないかも。でもそんな時、この地球で色々な人達が毎日、それぞれの理由で苦しみ、辛く、もがいている。自分だけじゃない、自分の苦しみなんて、この地球上で小さな苦しみじゃないのかなと思う。
 「BOYS BE AMBITIOUS」、もうBOYじゃないけど、なにがあろうとも時は流れます。悲しみの意味さえも変えていきます。どんな事だって、時の過ぎ行く間に気がつけば、美しい想い出に変わっていきます。不思議なくらい自然に今までそうなってきました。これからも、どんな苦しい事があるか分からないけど、今までと同じ様に繰り返して生きて行くと思います。それが生きている証しでも有ります。
 でも自分として、この「雨ニモ通信」に書いた事を自分で自分にこれから言い聞かせていきます。そして、自分のこの書いた事が、だれかを元気にしているのかもしれない、そう思いながら。
 そう、いつか、どこかで。

8
4月

~何もしてあげれなくてゴメンネ~

   Posted by: 雨ニモ通信   in こころの広場

~何もしてあげれなくてゴメンネ~
                       岩手県滝沢村/グリーングラス
  もしも あなたが今 誰かに心閉ざしていたとしても
  もしも あなたが今 世の中全てに心閉ざしていたとしても
  どうか後ろめたく思わないでください
  どうか堂々と心閉ざしていていいです
  かじかんだその心を 雨や嵐から守ってあげてください
  そして しっかり心あたたまって窓の外が少し気になり始めたら
  その時 どうか少しの勇気を出して窓を開けてみてください
  あなたが心の窓を開けたとき
  私は両手をひろげて あなたと友達になりたいのです
 
 私は小さい時とても内気で、自分の気持ちを口に出して言えない子でした。素の為か小学5年から中学3年まで「いじめ」にあっていました。クラス全員からの仲間はずれ、無視・・・。男子からは頭をたたかれたりこづかれたり、ランドセルをカッターで切られたり。そして家では母との確執ゆえのせっかん等あり、心が通じないむなしさ、あきらめで完全に心を閉ざしてしまい、家でも学校でも居場所のない真っ暗なトンネルの中で、ただひたすら時が過ぎるのを待っているだけの暗い少女時代を過ごしました。
 そんな仮死状態の中で、ひと時だけ命を取り戻せる瞬間がありました。それは課外授業で写生会などの時、皆と離れ1人ぽつんと絵を描いている私のところにそっと来て「何もしてあげられなくてゴメンネ」と言ってそばに座り、少しの間私の話をだまって聞いてくれる幼なじみの子がいたのです。その時だけが心いやされるひと時で、私が私に帰れる瞬間でした。それが私の心のささえになり、そのことで命がいやされ、救われ、そして今ここにいられるのです。

8
4月

白球と共に ~花巻東高校球児よありがとう~

   Posted by: 雨ニモ通信   in 特別寄稿

白球と共に ~花巻東高校球児よありがとう~
                           北上市/佐藤
 それは第91回高校野球、夏の大会の事から始まる。
 これから私が書きたいのは、ある一少年である。岩手県大会を勝ち進み、ついに全国大会の切符を手にしたのだ。その名も「花巻高等学校」である。
 春は準決勝、春に続いての甲子園出場である。選手達は歓びを胸に、県代表として恥ずかしくないプレーをしようと誓い合った。
 それと、県大会で敗れた学校名を1人ひとりの帽子に書き入れた。
 春の忘れ物を取りにいく、これが皆の合言葉であった。そして8月5日には第1回戦の組み合わせが行なわれた。それがなんと、春決勝で敗れた長崎県であった。学校名は違うが「長崎日大」、これも何かの因縁であろうか。選手全員に緊張感が滲みでた。”必ず勝つ!”と、選手一同は自分にそう言い聞かせた。
 大会3日目、第4試合である。試合の方は白熱したゲーム運びとなった。菊地雄星投手の力もあって、試合は8対5で花巻東は勝ったのである。春の雪辱を果たしたナインには気合がこもっていた。
 これも県代表としての誇りと意気込みのあらわれであろう。その後、花巻東は順当に勝ち進み2回線、横浜隼人、4対1、3回戦は東北同士の対決になり、宮城県の東北高校に4対1と勝ち、準々決勝に駒を進めたのである。相手は九州・大分県の明豊高校である。決して楽な相手ではない。花巻東にとっては手強い相手である。
 そして、ドラマはこの準々決勝で起きた。
 準々決勝、明豊戦。花巻東は土壇場で底力をみせた。4対6で迎えた9回の攻撃、ともに無安打だった3番川村悠真、主砲・猿川拓朗の連打で1、3累、勝利への執念を感じ取った。甲子園が再びざわつき始めたのである。さらに佐藤涼平の為スクイズで猿川を2進させ、ここで花巻東はタイムを取り、途中降板した主戦・菊地雄星が次のバッター横倉怜弐に耳打ちしたのだ。それは、「自分を信じろ、おまえなら打てる。」と言ったとか。それに応えるかのように、横倉はカウント2-0からカーブを捕らえ中前2点打、6-6と同点に追いついたのである。
 そして延長10回、一死一塁からバッターボックスに2番佐藤涼平が立った。涼平は粘りに粘って一塁側にバントを決めた。その時である。全力疾走で一塁に駆け込む涼平がベースカバーの野手と激突したのである。
 涼平は、その場に倒れ気を失っていた。球場全体が静まり返った。担架で運ばれた佐藤涼平の必死の送りバントに主将が燃えた。二死二塁から主将は初球を振り抜き、中前打で決勝点をもぎ取った。弾丸ライナー外野を抜いた。
 後で川村主将は、「みんなの思いを背負って、気持ちで打った」と話した。強力打線だけが甲子園の『華』ではないのだ。花巻東はダイヤモンドを全力で駆け回るスリリングな野球で観客を魅了したのである。バント、盗塁など小技を絡めて1点を狙い、打って、走って、守る。個性あふれる試合運びである。花巻打線は、いつしか甲子園の大観衆を味方につけていた。
 そして延長10回裏のことである。担架で運ばれた、背番号8・佐藤涼平が2万7千人が見守る中、拍手と大歓声に応えるかのように、笑顔で守備位置の中堅へ駆け出し、7-6と勝ち越しを放った川村主将とハイタッチを交わし、目を輝かせた。
 球場全体を一つにする感動的なシーンであった。佐藤涼平はファウルで甲子園を沸かせた。5試合でなんと104球を相手投手にに投げさせ、子ども達に「体が小さくたって野球は出来る。甲子園にも行ける。」と夢を与えてくれたのである。
 夏の甲子園で、花巻東が放った47安打のうち、実に31本が中堅から逆方向、大振りせず、つなぐ意識が快進撃を支えた。
 最速150キロの豪腕に真っ向勝負は難しい。だが、球数を投げさせればチャンスが生まれる。選抜準優勝の光栄もプライドも捨て、花巻東は「挑戦者の野球」に徹したのである。
 これは後でわかった事であるが、大会期間中チームには「田舎者は帰れ!」などと心ない文書も届いたが、佐々木洋監督は「都会ぶるつもりはない。ド田舎で結構、岩手の粘り強い野球を見せてやりますよ。」と言い切った。
 泥だらけのユニホームこそ花巻東の勲章である。
 それにしても準決勝で辛くも敗れはしたが、チームワーク、全力疾走、ヘッドスライディング、気迫、これこそが日本一であることは誰でもが認めるであろう。
 白球と共に、雨ニモマケズ、みちのくに花巻東高校ここにあり。
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*昨年は、岩手でも耳を疑うような事件が起こったり暗いニュースが多い中、花巻東高校の甲子園での活躍に、たくさんの感動と喜び、勇気を頂きました。そして岩手が一つになれた日でした。試合当日は、何時もながら込み合う時間帯の某銀行のロビーにも人っこひとり居なくて、花巻出身の支店長さんと、テレビの前で固唾をのんで応援したのがつい昨日のことのように蘇ります。
 今春、卒業によってそれぞれの道へ進まれる花巻東ナインの皆さんの、新たな門出に、これからの人生に心からエールをおくります。ありがとうございました。(み)

8
4月

あとがき

   Posted by: 雨ニモ通信   in あとがき

 暖冬と予報されながらもさすが岩手、師走から寒波がやって来て年末年始の大雪には大あわてでしたね。
 雪の重みに耐えながらも雪の中でも、冬枯れの枝先にももう春の予感が・・・。少しずつ身体を動かしながら、岩手の遅い春を待ちわびるこの頃です。
 『盛岡先人記念館』は盛岡の雫石川のほとりにたたずむ、静かでとても素敵なところです。素敵なスタッフが温かく迎えてくれます。
 この記念館に良く行くという知人から、昨年の「米内光政・山本五十六展」は戦争に反対する二人の友情がすごくよかった。とメールを頂きました。私ももっと気軽に足を運びたいと思います。
 今号も発行が送れましたことをお詫びします。投稿して頂いた皆様ありがとうございました。次回春号のテーマ「私の第一歩」です。ご投稿ならびに、ご意見ご感想などお待ちしております。